海辺の崖の河津桜
無料駐車場あり
官軍塚
慶応四年(1868)から明治二年(1869)にわたる戊辰の役で、旧幕府の脱走軍は北海道の五稜郭を占領し、海軍副総裁・榎本武揚を総裁として官軍に最後の抵抗を試みた。
維新政府からこの鎮圧を命じられた弘前藩主津軽承昭は、これを容易に平定することができずにいたので、弘前藩主の実兄である熊本藩主細川留邦は、寺尾九郎右衛門を長とする 藩兵350人を援軍として向かわせることにした。
彼等は品川で米国の大型蒸気外輪船「ハーマン号」を雇い 入れ、米国人乗組員80人とともに北海道へと出航したが、 明治2年1月3日(旧暦)の夜、勝浦川津沖で大暴風雨に遭い難破してしまう。それは藩兵200余人と米国人乗組員約20人が死亡するという大惨事であった。
官軍塚は遭難事故の救助に当たった地元川津の人々が、冥福を祈って遭難者を埋葬供養した場所であり、明治維新史を 具体的に物語る史跡である。
平成25年12月25日
千葉県教育委員会 勝浦市教育委員会