2019年1月5日土曜日

梅ヶ瀬・大福山 ~市原~

谷底歩きとパノラマ



梅ヶ瀬~大福山を歩きました。昼食(30分)込みで3時間40分でした。
梅ヶ瀬では、浅瀬の川を何度も渡り、後半は河原を進んでいきました。
大福山までは急な坂を上り、最後は尾根伝いに進みました。
大福山展望台は南側と北側が開けた眺めで、アクアラインやスカイツリーが見えました。

 無料駐車場あり



10:15 駐車場

有料500円の看板がありましたが、誰もいませんでした。きっと、紅葉シーズンに立てた看板なのでしょう。
戻ってきたらもう一台車が停まっていました。

駐車場


梅ヶ瀬


梅ヶ瀬

川廻しのトンネルです。


梅ヶ瀬

川を渡って行きます。

梅ヶ瀬

ここも川を渡ります。

梅ヶ瀬

川を渡って右手の道を登って行くのが正解です。

梅ヶ瀬

またまた川を渡ります。

10:45 梅ヶ瀬 迂回路

右手に迂回路の看板が。
川を渡って左手の道を行きます。
まっすぐ行くと落石の危険があるそうです。

梅ヶ瀬 迂回路

川を渡ってまっすぐ行きます。

梅ヶ瀬 迂回路

この崖が落石注意の場所です。
川を渡った場所から撮りました。

梅ヶ瀬 迂回路

崖とは反対側に少し戻ったところに川廻しのトンネルがあります。

梅ヶ瀬

またまた川を渡ります。

梅ヶ瀬

狭い素掘りのトンネルがありました。
通行禁止です。

11:00 梅ヶ瀬

ここからは、河原を歩いて行きます。

梅ヶ瀬


梅ヶ瀬


梅ヶ瀬


梅ヶ瀬

またまた川廻しのトンネルです。

11:25 大福山/日高邸跡 分岐

まっすぐ、日高邸跡に向かいました。

11:30 日高邸跡

明治初期に活躍した日高誠実(のぶさね)が 陸軍を辞したのち、人生の後半を理想郷の建設にかけるべく、市原市大久保の地に居を移した。
今は紅葉の名所です。


日高邸跡

礎石が残っています。

12:20 大福山/日高邸跡 分岐

河原で昼食後再び出発。
この分岐を大福山に向かいました。

大福山

右手を登って行きます。

12:30 大福山

きつい坂を一気に登りました。
先ほど歩いてきた河原が断崖の下の方に見えています。
このあたりで猿をみかけました。

大福山

ここは、左手の小ピークを経由していくのが正解です。
右手の崖沿いの道は通行禁止です。

大福山

尾根道を行きます。坂は緩やかですが、右手は崖になっています。

12:48 林道/梅ヶ瀬 分岐

林道に出ました。
眺めが良いです。

12:51 白鳥神社入口

林道を左手(西)に少し歩けば白鳥神社の入口に着きます。
右手の道を登って行きます。

白鳥神社入口

ここも眺めが良いです。

白鳥神社

長い石段があります。
この写真は上半分です。

12:56 白鳥神社


白鳥神社


大福山 山頂

白鳥神社の本殿の後の道を東に少し行った場所にあります(奥に本殿が見えています)。
標識も何もありませんが、ここが一番高そうなので頂上に間違いないと思います。
さらに東に進んで大福山展望台を目指しました。

13:10 大福山展望台(南側)


大福山展望台(南側)

大福山山頂からの道はあまり人が通らないのか整備されていません。
急な坂を下り、ささやぶをかき分けて展望台に着きました。

大福山展望台(北側)


大福山展望台(北側)


大福山展望台(北側)

アクアラインが見えました。

大福山展望台(北側)


大福山展望台(北側)

スカイツリーも見えました。

13:56 林道/駐車場分岐

帰りは林道を通って帰りました。
この分岐を右に行くと駐車場です。

14:00 駐車場 到着



【説明板】


日高邸跡 
日高誠実(のぶさね)プロフィール
天保7年(1836) 日向国高鍋藩士の家に生まれる。
安政3年(1856) 藩命により江戸へ遊学。古賀達堂の元で5年間学んだ後、藩校(明倫堂)の助教授となる。
元治元年(1864) 再度、江戸に遊学し、帰藩後教授となる。
明治2年(1869) 高鍋藩に上下議事院が設けられ、藩政の改革がなされると、議員となり、後に下院議長の兼務を命ぜられ藩政に参与した。
明治3年(1870) 高鍋藩権大属に任ぜられ、上京する。
明治5年(1872) 陸軍省に出仕、軍内においては、文筆を主とする仕事に従事し、軍内では勝海舟・山県 有明・伊藤博文等と親しく接し、また漢学者や書家の友人が多い。
明治18年(1885) 市原市大久保に188町4反の官有地の払い下げを受ける。
明治19年(1886) 陸軍を辞し、人生の後半を理想郷の建設にかけるべく、市原市大久保の地に居を移した。そこは標高 296m の大福山麓の仙境であ り、誠実の夢は、ここに大和国・月が瀬のよ うな「梅が瀬」をつくり、東海の名勝地にす ることであった。誠実は梅、機ほか1600 余種本を植樹した。誠実が梅が瀬で計画した事業は、①梅林の 造成、②林業、③牧畜、④養魚などであった。
明治21年(1888) 誠実は、居宅の裏に梅が瀬書道をつくり、講師を招いて近隣の子弟に国漢、英数・書道 ・剣道を教えた。書堂の全盛時には、市原・君津・長生・山武・夷隅の五郡に及ぶ子弟が学び、多くの地方人材を輩出した。塾生は延べ千人にも及ん だと言われる。著名な人には、明倫堂時代の人もいるが秋月種樹(高鍋藩主)、三好退蔵(大審院長)、日高秩父(書家)、香川松石 (書家)などがいる。

大正4年(1915) 享年80才で生涯を終える。


白鳥神社

県指定天然記念物 大福山自然林 

大福山は房総丘陵のほぼ中央に位置し一名冑山ともいう。
 山頂には白鳥神社をまつる。標高二九〇 メートルのこの山頂が、市原市で一番高い所である。
 大福山の自然林は、房総半島の暖温帯に広がる常緑広葉樹林の典型で、森林の階層構造もよく発達している。高木層(スダジイ・タブノキ・アカガシなど)、亜高木層(ヤブツバキ・ウラジロガシ・モテチノキなど)、低木層(ヒサカキ・アセビ・カクレミノ・アオキなど)、草本層(ヤブコウジ・テイカカズラ・ツルアリドオシ・ベニシダなど)、コケ層(アカイチイコケなど)の五つの層を区分することができる。
 大福山の自然林は、少なくとも数百年の歳月を経て、現在のスタジイ林になったと推定される。
昭和四十七年一月二十八日指定
千葉県県教育委員会 
市原市教育委員会