料理の神様を祀る神社
無料駐車場あり
拝殿
拝殿
拝殿
拝殿
【説明板】
南房総千倉 高家神社
高家神社は日本唯一料理の祖神を祀る社として、広く調理関係者、醸造食品関係者の崇敬をいただいております。
例祭日
5月17日 春の例大祭・肉丁式奉納
10月17日 秋の例大祭・肉丁式奉納(旧神嘗祭)
11月23日 新穀感謝祭・肉丁式奉納(旧新嘗祭)
毎月17日 月次祭・恵丁供養祭
《高家神社の由来>
主祭神 磐鹿六雁命、天照大神・稲荷大神を併せ祀る。 主祭神 磐鹿六雁命については「日本書紀」の第12代景行天皇 53 年冬10月の条 および延暦8年(789) に磐鹿六雁命の子孫である高橋氏が朝廷に奉ったとされる「高橋氏文」に記述されています。
景行天皇が皇子日本武尊の東国平定の事績を偲び、安房の浮島の宮に行幸された折、侍臣の磐鹿六雁命が、弓の弦をとり海に入れた所堅魚を釣りあげ、また砂浜を歩いている時、足に触れたものを採ると白蛤(=はまぐり)がとれた。磐鹿六雁命 はこの堅魚と白崎を輪や焼き物にして差し上げたところ、天皇は大いに賞味され、 その料理の技を厚く賞せられ、購大伴部を賜った。
この功により若狭の国、安房の国の長と定められ、以後代々子孫は膳の職を継ぎ、 もし世継ぎの無いときは、天皇の皇子を継がせ、他の氏を交えず、皇室の食事を司るよう賜った。
また、大いなる拓(かめ=べ)に例え、高倍さまとして宮中澤院で醤油醸造・調味料の神として祀られている。器には、野菜を発酵させた草器、穀物を発酵させた こくびしお 穀醤、魚などを発酵させた肉習があった。今でいう漬物・味噌醤油・塩辛の三種だが、 これらは日本料理の基礎をなすものであり、磐鹿六雁命が料理の祖神とされる であります。
高家神社は延喜式神名帳に登載される小社の一つです。現在の所に祀られたの は江戸時代の初頭にさかのぼります。
元和6年、現在の宮司の祖先となる高木吉右衛門が桜の木の下から、木像と二面 の御神鏡を発見し、社を建てて祀りました。
200年余りの後、この鏡面に御食津神、磐鹿六雁命と記されていたことがわかり、 当時所在があきらかではなかった高家神社の御神体であるとして、文政2年に京都 吉田御所に証を願い、御幣品をいただく。神社拝殿内正面の御神号額はこの時の もので、神社道管領下部朝臣良長の銘が刻まれています。
江戸時代以降、醤油沿革史の著者・田中直太郎氏(ヒゲタ醤油(株)の始祖)、 料理法大全の石井治兵衛氏、さらには日本料理研究会初代理事長・三宅払野氏等 の労により、祭神の御神徳が発揚され今日に到っています。
庖丁式
今からおおよそ千百年余り昔、時の58代光孝天皇は料理に造詣が深く、光孝天皇の命により様々な料理をまとめて後世に伝えたのが四條流の祖といわれる 四條中納言藤原朝臣山陰卿でした。光孝天皇の時代(平安時代)から朝廷を始め、 貴族社会の人々により、宮中行事の一つとして行われてきたのが「肉丁儀式」 です。
烏帽子、直垂をまとい、肉丁と、まな著を用い、一切手を触れることなく、鯉、 真鯛、真魚堅などを調理します。古式に則った所作とその恩丁さばきは、熟練 の技。日本料理の伝統を今に伝える厳粛な儀式です。
毎年、5月17日、10月17日(旧神嘗祭)、11月23日(旧新嘗祭)に高家神社境内で包丁式の奉納が執り行われます。
〒295-0012 千葉県南房総市千倉町南朝夷164 TEL.0470-44-5625(社務所)
○境内見学自由(8時~17時) ○JR内房線千倉駅から約2km